街のポートレート Saturday September 24 2016

α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴
α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴

先日の朝日新聞で日本の英語教育について小学校から教えることに反対する大学教授の意見を読んだ。彼によれば簡単に言うと英語教育を早くから行うと、日本の社会が英語偏重化して、英語の苦手な人にとっては非常に不利だ、日本の社会はなかなか変わらないが、いったん変わってしまうと取り返しがつかない、といった内容だった。

もともと日本の外国語教育は中国語を習うためにあったんではないかと思う。直接人とコミュニケーションをとるためというよりは、読み書きを勉強して当時先を行っていた中国文化を取り入れることや、文書でのやり取りがメインだったのではないか。非常に古い外国語教育を基にした今の英語教育があるように思えてならない。外国語を勉強することによって、日本語の習得が遅れるとか(全ての授業を英語だけで行うといっているのではなくて英語の授業を取り入れるといっているだけだ)、悪い影響があるといったことは科学的に否定されているし、二か国語を普段から使っている人は、一つの物事を多方面から考えたり、いくつかの物事を同時進行することに優れていたり、脳梗塞などからも回復が早いといわれている。

まして英語偏重の社会になるというが、現在の受験勉強偏重の社会のほうが問題で、まず変えるべきだと思う。社会人になってほとんど役にも立たないことを数年も長時間勉強することは非常に時間の無駄だ。英語だけでもまともに勉強すれば、ビジネスチャンスなどいくらでもあるし、無数の英語のウェブサイトから情報を得ることなど、利点はいくらでもある。

その大学教授は英語ができなければ、マイナーな言語ができても意味のない社会になるというが、普通に考えて言語というものは、英語は全くだめだけど中国語は非常に優秀、などは考えにくい。なぜならどの言葉でも習得する過程は一緒だし、一つ言語を習得できれば次の言語の習得時間はとても短くなる。言語を勉強したことがある人には常識だろう。

一番気になったのは、こんなに保守的な人がどこかの団体の代表などではなくて、社会に対して公平であるべき大学で物事を教えているということだ。どこの大学かは忘れたが、その大学自体が保守的なのかもしれないが、外国人の教授がほとんどいない日本の大学という有様が、現在の日本社会を象徴しているのではないだろうか。

街のポートレート Sunday September 18 2016

α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴
α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴

瞑想を毎日している。といったら大げさに聞こえるかもしれないが、静かに15分目をつぶって座っているだけだ。以前はいろんなサイトを参考にして瞑想音楽を聴いたり、呼吸法を試してみたりしたがどうも自分には合わないらしい。かといって本格的な瞑想教室にいくほどの根性もないので、毎日続けることが大事ではないかと思ってやっている。確かに気持ちは軽くなるような気がする。街中に住んでるとどうしてもいろんな騒音で集中できなかったりすると思うので、邪道かもしれないが耳栓やイヤーマフといわれるものを駆使すればいいのではないかと思っている。瞑想でもなんでも我慢比べや修行のようにやるのもいいのかもしれないが、僕のような凡人には悟りを開くなど到底無理なので、ストレス発散として気楽に楽しんで長く続けることも大事かなと思う。

街のポートレート Sunday September 11 2016

α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴
α7 LEICA SUMMICRON-M f2/50mm 沈胴

今は兵庫県だが、去年まで大阪に住んでいて、一年で最もきついのは夏だ。大阪湾奥は気温の予報を見ていても主要な都市部だと夏は一番高いことが多い。大阪市内などまさにうだるような暑さである。一年の半分くらいは短パンTシャツで過ごしていたような。なので暑さが過ぎ去っていくこの季節になるとホッとする。